まだまだ私のことを知ってもらわなければ!
と思い、過去回想編でつないでいくつもりです。
時代はさかのぼり、
小学生時代
ちょっと天然の入ってる子供だったのか、
近所を歩いているときにうとうとしていて
横道にそれたときにそこにあった
アロエにぶつかり頭から血を流したり、
学校登校のときにマンションの玄関で
兄が閉めたドアに指を挟み家に戻ったりと怪我の多い幼少期でした。
とにかくおっとりした性格で、
周りには人当たりのいい人に見られていました。
しかし、それとは裏腹に
友達との人間関係は広く浅くだったため、
常に付き合う友人はとっかえひっかえ。
特定の友達と遊ぶということがなく色んな人と遊んでいました。
表面上は人当たりがよかったので、
遊びにいれてもらうのは簡単だったけど
遊んでるうちにその本性がばれていったのでした。
家に家庭用ゲームというものがなく、
持っているものといえば
小学生の時にねだって親に買ってもらったポケモン。
ドハマりした記憶も今ではほとんどないです。
ずっとやってたみたいで親によく
時間を決めてやりなさいと注意されてたものです。
そんな携帯ゲーム機もいずれ飽きはくるもので、
友達の家にいったときに見た家庭用ゲーム機(64とかスーファミ)が
とてもうらやましくなってました。
そんなわけで、
その本性というのが友達の家にいっては
ひたすら「64やらせて~」というばかり。
特にスマッシュブラザーズという
くそおもしろいゲームが出たときで
持ってる友達がうらやましくて、
やりたすぎて友達の気持ちなんてそっちのほか
友達が「外行って遊ぼう」といっても
「ゲームのが楽しいよ」といって友達の家に居座ろうとする。
それでも結局他人の家なのでしぶしぶ外にでて
特に楽しくもないボールけりだったりとかをしていましたね。
そんなことから少しづつ友達に誘われなくなり、
いつの間にか必死になって自分から放課後「いれて~」
といって半ば強引にいれてもらったりしてました。
それでも結局家でゲームをしたい衝動が抑えられなく
ゲームをねだるばかりでどんどん自分の首を絞めていくばかりでした。
最終的にはその時遊戯王カードも流行っていたのですが、
無理にいれてもらった友達に気を使うときもあり
「遊びにいれてくれたからこのカードあげるね」とかいって
大して自分の痛手にならず友達もいっぱい持ってるレアカードをあげたりしていました。
(今でもそういうところはずる賢かったりします。ちょっと反省)
そんな小学生生活、
ある日一人の友達に言われたことがあります。
いつもどおりの放課後「遊びに入れて~」といったところ
まさかの断られる結果に
その理由というのも「お前ゲームばかりやりたいっていうから嫌だ」
ついに言われるときがきたか~と当たり前のことですが
この一言が始めて自分に突き刺さりましたね。
心の中では結構効いていましたが、
やっぱり遊びたかった私は
普通気を悪くして「じゃあいいよ」
というところを
「じゃあゲームしたいっていわないからいれて」
と大しておもしろくもない
外遊びのためでも遊びにいれてもらってました。
友達と遊びたいというよりは
友達の持ってるものが好きという感じでしたね。
(結構なくず野朗ですw)
友達と遊びたかったわけ
ほとんど毎日そこまでして
誰かと遊びたかったというのも
誰かと遊んでいないと
不安でしかたがなかったからなんですね。
その背景には「兄が鍵っこだった。」
というのがあります。
帰ってきたらいつも兄が家にいて、
ひたすら留守番させられてたみたいです。
そんな兄をみて、私は家にいたら
このどこか息苦しい世界を兄と共有するのかと
そう思うと本能的に耐えられないと感じていたんだと思います。
誰もいない家という存在の中に、一人いる兄。
子供のころってなんか怖いと思いません?
そんな兄について少し語りたいと思います。
兄の物語
保育園のときから結構やんちゃものだったみたいで、
友達と悪さや喧嘩をしていたみたい。
そのときに友達が嘔吐(要はげろったw)したときに、
一言「汚ねぇ」っていっちゃったみたいなんですね。
(子供ながらの無邪気な一言です。)
その一言を聞いていた職員が
「汚くねえよ」
と言いげんこつをくらったそうです。
そのときのことをすごく根に持っているらしく
今でも過去の話になったときによく言ってます。
子供のときに振るわれる暴力って、
正しいことを伝えるつもりで大人が使ったとしても
それは結局無知な子供にとってはただの暴力
としか受け取られないわけで(だからといって暴力はよくないです)
ちゃんと
「○○君もそういうときあるでしょ?
いわれたら悲しい気持ちになるから思ってても口にださないんだよ」
とか説明してあげればそんな記憶も残らなかっただろうにと思いますね。
そんなやんちゃしてた兄も
学校に通うようになって帰宅したときは
母親に「家で寝てなさい」といわれてたらしく、
そのいいつけを守っていたみたいです。
私の記憶にはありませんが寝てたみたいです。
最近になってこの話を聞いてそのときは
「そうだったんだ~」
程度にしか感じませんでしたが、
今振り返って思えばとても恐ろしいことだなと思います。
だって子供のときって好奇心に満ち溢れてて
外の刺激にいっぱいさらされて
脳みそを育てるじゃないですか。
それができない状態って本当こわいです。
兄がまじめだったのもあり
余計それを頑なに守り続けていたと思うと
正直ちょっと泣きそうになります。
そんな兄も一度だけ約束を破って行動したときがあったみたいです。
これ聞いたときは素直にすごいなと思いました。
私の家は両親ともに共働きなんですが、
家に仕事場の住所と一緒に電話番号のメモもおいてあったらしく
一応何かあったときは連絡がとれるようにはしててくれたんですね。
で、何を思ったのか兄はそのメモを手に取り
近くの駅にいって人に聞きながら
父親の職場まで向かったそうなのです・・・。
そう父親に会いにいったんですね。
家にずっといればそりゃそうなりますよね。
寂しいですもん。
我慢の限界が来てたんでしょうね。
それをこんな小さなときに行動に移して
実際会いにいくなんてすごい行動力だなと。
感動とともに感心してしまいますよ。
そんな中私ときたら、外で友達に媚を売る日々・・・。
その結果ですが、
泣きながらなんとか仕事場に到着して
慰めてもらえると思いきや
父親には「なんで来たんだ!」
と怒鳴られる始末だったそうです。
2度目のトラウマがここで刻まれていたのかもしれません・・・。
親の心子しらずとはいいますが、
子の心親知らずでしたね。
そのあとに慰めてもらったのかは分かりませんが、
聞く話ではそういったこともなかったみたいで
今思えば叱った後に「無事でよかった」
とか一言あるだけでも大分違った
かもしれないと思いましたね。
愛を求めてやってきたところが、
叱られて終われば子供心に傷がつきます。
親も親で仕事が大変だったりと
色々なプレッシャーもあったと思えば、
仕方のなかったことかもしれませんが。
話を戻しますが。
兄が鍵っこだったこともあり、
家にいることに恐怖を感じていたわけです。
それでも兄はときどき友達から誘われることがあって、
自分が自業自得でどうしても友達と
遊ぶ約束ができなかったときは
兄と一緒に上級生の遊びにいれてもらったり、
はたまた、私の友達と遊ぶときに
兄を連れて行ったりなどしていました・・。
そのときにまた兄が傷つく出来事が起こるわけですが・・。
というのも私たち兄弟は一緒に
遊ぶことになんの抵抗もありませんでしたが、
私の友達は「上級生が俺たちと遊んでるのってなんかおかしくね?」
と言ったわけです。
(別に一緒に遊んでてもおかしくないだろ!
人数的な問題があるけど、
田舎の学校はごちゃまぜだぞw)
また残酷な話ですよね。
固定概念って怖いです。
それからだったと思います。
兄が私の友達と遊ぶときに
ついて来なくなったのが。
そのせいか兄との思い出ってものが
ほとんど本人から聞かないと覚えていないんです。
年齢が離れてる兄弟って
ほとんど会話がないとか聞きますけど、
私たち兄弟は年齢が近かったので
よく喧嘩したり、遊んでいたはずなんです。
それでも記憶があまりない
というのは周りの固定概念に侵食されて
間違った常識を植え付けられていってたんですね。
今ではこの常識という非常識を
思い出すと腹が立ちますが、
思い出すという行為が
今の自分を形成してることを分析できます。
心理学者の人で
自分で自分の自己分析をして、
問題を解決した人がいたと思いますが(誰だったかな?)
悩みがある人は過去の出来事を書き出して
整理してみるといいかもしれませんね。
と兄についての物語のほうが
自分より面白いといけないので、
この辺にしておきますが(冗談です)
また機会があるときにでも登場させたいと思います。
小学生時代はこんな感じですかね
また思い出したら随時追加したいと思います。
それではまた次をお楽しみに。
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